愛せなければ通過せよ。

いつだって 今日は私の 『My day』

30歳からは生き様が顔に出る

30歳からは生き様が顔に出る。

 

30歳からは生き様が顔にでる。

って良く聞きますよね。

 

それは30代半ばになってよくわかる。

顔のパーツというか表情ですね。

「綺麗だけど 意地悪そう」

なのか

「綺麗なうえに優しそう」

なのか。

 

同じ綺麗でも印象は全然違います。

静止画じゃわからない。

だからこそ実際に少し喋ってみるだけでわかります。

 

嫌な空気をだしてるのか。

なんかワクワクするような空気をだしてるのか。

 

非言語能力は意識して習得するしかない

 

人の表情を見て、判断すること、

されることが多くなってくる。

でも、

非言語能力って、誰かに教わることじゃない。

誰にも教わることじゃないから、

自分で意識しないと習得できない。

 

20代のうちはまだ子供。

嫌なことがあってムスッとしても、

それが可愛いってチヤホヤされるかもしれない。

まだ子供だから仕方ないで済むかもしれない。

「顔に出てんで!」って指摘してくれる人がいるかもしれない。

 

30代になった瞬間。

それは全て、通用しなくなる。

 

だれがセミプロおばはんやおじはんの

ムスッとした顔を可愛がる?

子供だから仕方ないって思ってくれる?

セミプロに指摘する勇敢な人なんている?

 

だから。

自分で責任を持たないといけない。

自分の顔に。表情に。

見てる人にせめて不快な思いをさせないように。

 

私の父が母に注意した言葉が今でも頭から離れない。

私の父は、あまり何も言わない人だし

細かいことは気にしない人。

 

そんな父が母に言ったこと。

それは、

私が実家に帰ったとき、お土産の入った紙袋を持っていた。

その紙袋を、私が渡す前に母はさりげなく

ジロジロ見ていたらしい。

 

もらう前のプレゼントをジロジロ見るなんて

いやらしい。

※早く渡せって感じで失礼。

もし自分に渡す用じゃなければ

相手に申し訳ない思いをさせてしまう。

 

ってことだそうだ。

 

そこで、表情だけじゃなくて

視線にも気をつけないといけないんだな。

と思った。

 

でも確かに、持ち物をジロジロ見られていい気はしない。

ジロジロ見て許されるのはお子ちゃまだけだ。

 

自分の顔に責任を持ちましょう

 

そんな父に私は、物心つくかつかないかのときから

ずっと言われていたことがある。

 

それは、

「口角を上げとき。ムスッとしてたらあかんよ。

意地悪な顔になって、本当の意地悪になっちゃうよ。」

ってこと。

これを子供に言うのもビックリだけど。

それしか言われなかった。

そこを意識して大人になれて本当に良かった。

 

今、私はいっそがしい仕事先にいても、

「なんか楽しそうだね」

って言われる。

 

別にたのしかないけど。

父からの唯一の教えを守っている。

 

楽しいから笑うんじゃない。

笑うから楽しいんだ。